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カテゴリ:未分類

  • 静電気
    [ 2005-01-15 22:52 ]
  • 避難訓練
    [ 2004-11-28 22:51 ]
  • ちば愛犬学園
    [ 2004-11-18 22:50 ]
  • 東海大学
    [ 2004-11-16 22:48 ]
  • My Dream
    [ 2004-11-13 22:49 ]
  • ああああああああああああああああああ
    [ 2004-10-16 22:47 ]
  • ああああああああああやばい
    [ 2003-11-28 22:45 ]
  • ふー
    [ 2003-07-23 22:45 ]
  • 独立記念日
    [ 2003-07-06 22:44 ]
  • ふー
    [ 2003-06-20 22:43 ]

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静電気

ほんまに日本の冬は乾いているんだな。
静電気が多い。
アメリカにいた時は全然なかったなあ。
この間伊豆へ3Stars&Kで男女4人♂♀4匹で行ってきました。
サミーだけシャーリママとわたしを挟んでシートに座っていた。
サミーがあまりもの動き回るし、シャーリママの服はナイロン。
摩擦、摩擦。
パチッ、パチッとした。
サミーの鼻に触っただけで静電気。

夜に寝る前のサミーのトイレ。
うんちを拾ったら
パチッ。
うんちにも静電気が走るのか!
毎日夜のサミーのうんちを触るたびに
パチッ。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sammy61 | 2005-01-15 22:52

避難訓練

この間、会社で避難訓練があったの。
地震6の設定で訓練したのね。
ゆんみは地震の時はエレベーターが使えないことを知っている。
だから犬用の靴を用意した。会社の階段ではビニール樹脂シートになって滑ってしまうのです。5階の職場から1階まで滑り降りるとなるとサミーの足腰がおかしくなってしまう。それを防ぐ為にサミー靴を用意した。

避難して下さいという放送が流れた。同僚が避難訓練が始まったよと一緒に出るのだが、サミーは何のことだか分からない。しかも久しぶりに履く靴。どうしてみんあが揃って移動しなければならないのかさえ分からなかった。いつもと違うよ。何?何?ってサミーはずっとその状況を考えていた。5階から1階まで靴のおかげでスムーズに降りられては、偽の煙ハウスに入った。消防士はサミーが入っても大丈夫?と聞かれたけど、実際に火災になったときはサミーと一緒だからそういう訓練が必要だと思ったから、サミーと一緒にくぐった。サミーは平然と入っていったが、出たときの空気に触れた途端くしゃみしてしまった。にせの煙には甘い香りがぐっとくるものがあった。そのまま、避難所である公園へ移動しては久しぶりに2列並んだ。
そこで話を聞くこと30分くらい。私はぼーと突っ立っているだけ。
サミーはその間もずっと考え込んでいた。そして、伏せした。
時間が経ち、ゆんみの職場に戻ったら靴を脱いでもらった。なんだったの?疲れが一気に出てグーピー。

本来なら、非常ベルが鳴ってはみんながパニックになったほうがサミーは状況を把握できる。今回は非常ベルがならず、みんなは面倒くさそうにぞろりぞろり出て行っては緊張感のかけらさえなかったから、サミーには今はどういう状況になっているのか分からずゆんみに対してどうしたらいいか分からないまま悩んでいた。ゆんみは何でもなさそうだし。。。

だった40分くらいの避難訓練だったが、サミーには思考をたくさん回転してしまっては消耗しきっていた。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sammy61 | 2004-11-28 22:51

ちば愛犬学園

ほんまに私の夢は限りなく続くよ。
早くも今の会社に対して嫌になって辞めてやるとわめいている。
まあ、アメリカで自分の好きなことを仕事にしてきた分
今の仕事は自分の専門外の事をやっている。給料は悪くはないんだけど、なんか違うんだよね。しかも、営業の部署にいるせいか何かと会議が沢山あって聾の私にとっては地獄のそのもの。最悪の場合は毎日会議!この間は一日中会議!体がもたんわい。そのせいで一日中不機嫌になってしまった。

私はお金で縛られたくない。少しのお金で生活ができる自分の好きなことをして心豊かな生活をしたい。お金豊かな生活で心が貧乏なのは惨めだと思っている。まあ、私の永遠のテーマもしくは好きな言葉が「風」なんです。
私の詩集にも書いてあるのですが、「風」は色々な形をして地球のみならず宇宙も存在している。「風」には色々な形があり、地球がうまれたとき、宇宙がうまれたときは既に存在していた。
ゆんみ風をどう生かすが永遠のテーマになりそうです。

私の夢には限りないから。
「風」には限りない。
私の言う「夢の風」にのって何処までいくのだろう
そんな感じです。

そして新しいアイデアが浮かんだ。
それを実行してみよう。

私はいつも言っている。
今の会社を長く勤めるつもりは全くないよと。
機会があれば明日でも辞めると。
もったいないとか収入が無くなるという不安は全くない。
今までは自分で自分を投資してきたけど
これからは誰かが私を投資してくれる人を見つける。
今まで私が経験してきたことを投資してくれる人を。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sammy61 | 2004-11-18 22:50

東海大学

東海大学
11月3日に東海大学の文化祭に毎度の事ながら聴導犬について講演しに行きました。小田急デパートの講演を初めとして5回になりました。毎回講演を重ねるたびに少しずつパワーポイントの中身を濃くして行ってはスクリーン枚数も増えてきました。何かと少しずつマスコミにも注目を浴びてきています。ほんのちょいですが。。。
それも皆さんの協力、ネットワークのおかげです。

前回のニューオータニにて講演を行ったときは素晴らしい読み取り通訳者が付いたこと、D.B.Fの川口さんと知り合いになってサンプルを提供していただけたこと、川口さんの紹介で愛犬チャンプが取材に来ては12月号に載せてもらっています。

今回は毎回私のお手伝いしていただいているシャーリママ、空パパ。
空パパは犬のインストラクターでサミーのボーイフレンドでもある。
生意気な!私にはボーイフレンドがいない身なのに!
いつもなら犬の接し方とか私が話してきたけど、今回は空パパに話してもらうことにしました。見事な話術で観客を納得させることが出来ました。毎回アンケートをとってもらうことが私にとって講演の質を上げる目安のなっています。そのせいでスクリーンの枚数も増える原因となってしまうのだが。。。2時間だけの講演をよくも圧縮してたくさんのことを話しているなあと我ながら思います。

殆どの聴導犬の講演はデモばかりで、見ている人はある程度楽しめると思う。私には殆ど皆無に近い。訓練の様子をDVDで7分程度しか紹介していない。
つまり殆ど話しているのです。。。観客は飽きないで私の話を聞いていただけているのには感謝しています。今回の読み取り通訳者や講演会の準備は全て東海大学のトータルコミュニケーション研究会の人たちがやりました。まして手話のプロではないのですが、頑張って読み取って私の声代わりしました。面白いことに、読み取った人は私の話に「へー」と思ってしまっては読み取ることを忘れて感心していたこと。

東海大学の学生達の出会いは私が最初に講演を行った小田急デパートに来ていただいたのが縁でした。そのメンバーのうちの一人は私の講演を3回も聴いていて、今回のが一番良かったと言っていました。講演を重ねるたびに良くなっているんだなと思いました。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sammy61 | 2004-11-16 22:48

My Dream

ほんまに私の夢は限りなく続くよ。
早くも今の会社に対して嫌になって辞めてやるとわめいている。
まあ、アメリカで自分の好きなことを仕事にしてきた分
今の仕事は自分の専門外の事をやっている。給料は悪くはないんだけど、なんか違うんだよね。しかも、営業の部署にいるせいか何かと会議が沢山あって聾の私にとっては地獄のそのもの。最悪の場合は毎日会議!この間は一日中会議!体がもたんわい。そのせいで一日中不機嫌になってしまった。

私はお金で縛られたくない。少しのお金で生活ができる自分の好きなことをして心豊かな生活をしたい。お金豊かな生活で心が貧乏なのは惨めだと思っている。まあ、私の永遠のテーマもしくは好きな言葉が「風」なんです。
私の詩集にも書いてあるのですが、「風」は色々な形をして地球のみならず宇宙も存在している。「風」には色々な形があり、地球がうまれたとき、宇宙がうまれたときは既に存在していた。
ゆんみ風をどう生かすが永遠のテーマになりそうです。

私の夢には限りないから。
「風」には限りない。
私の言う「夢の風」にのって何処までいくのだろう
そんな感じです。

そして新しいアイデアが浮かんだ。
それを実行してみよう。

私はいつも言っている。
今の会社を長く勤めるつもりは全くないよと。
機会があれば明日でも辞めると。
もったいないとか収入が無くなるという不安は全くない。
今までは自分で自分を投資してきたけど
これからは誰かが私を投資してくれる人を見つける。
今まで私が経験してきたことを投資してくれる人を。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sammy61 | 2004-11-13 22:49

ああああああああああああああああああ

思い切り日記をサボってしまった。
まあ、いいわけにはならないがあっちこっちへ講演行ってきたもの。
HPをニューリアルしたならこの日記だって来る時間があると違うかと言われると弱いです。。。

今年は何やら「縁」があるようだ。
私に出会った人は皆「不思議な縁」だと言う。
会社の同僚シャーリママと仲良くなった。
そのシャーリママの縁でCan!Do!と知り合い、講演のスタートを切る。

グロのネットワークでアジをやりに茨城まで足を運んだ時、見知らぬの女性がいた。その人は手話が出来ては講演して!グロのネットワークの「縁」で茨城で講演し、地元の新聞、ケーブルテレビに。

シャーリママは私に出会った「縁」で手話をめきめき上達し、サミーファン会長豪語している。

散歩途中でサミーが見つけた迷子犬を助けた「縁」でニューオータニの講演にその飼い主さんが来ては私の本を10冊以上買ってくれた。

まあ、その「縁」を大事にしたいと思う。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sammy61 | 2004-10-16 22:47

ああああああああああやばい

ああああああああああやばい

最後に書いたのは7月だ。
そして今年残りわずか。。。
8月から今までいろいろあったなあ。

ウィスコンシンで働いていたが、保証も無く困っていた。
チャットで友人と何気なく今の状況を話したらボストンにいい仕事あるよと。
早速履歴書をボストンの方へ送ったらすぐ面接したいと連絡があった。
すぐにそこへ向かったが、ついでにワシントンDC周辺の友人へ会いに行った。
3年ぶりのDC周辺。古い友人はいいなあ。飛行機で行くか車で行くか
迷った挙句車で行くことにした。今回のたびももちろんサミーを道連れに。
サミーを預けることは出来ない。娘同様なんだからいつでも一緒。
サミー旅へ行くぞ。サミーは又かという顔でついてくる。

ウィスコンシンからDCまではまる一日。15時間かかった。
そしてDCからボストンまで8時間。
I-90を使っていったら通行料高く取られたぞ。ボストン行きもね。
ボストンにて2泊観光、面接を兼ねて。
私はTLCだけ希望していたのにWSの方も面接。
私はTLCのみ売込みしてWSは適当に応えた。
その後、ハーバード大学へ行ってきた。
思ったよりも。。。治安的にもあまりよくない所。
ボストンは私の憧れの街でもあったけど現実を見てかっがり。
私の理想の街ではなかった。私は未だに私の理想の街を探している。
そしてDCに戻り2日間友人の家に滞在した後、I-70を使って通行料を
払わずにすんだが、山道がひどい。I-90の方が運転は楽。
シカゴ周辺に着いたときは渋滞に出会う。
1週間のドライブ旅行だったが、車焼けしてしまった。
かっこ悪い日焼け。。。左右対称にきれいに日焼けていない。
ああああああああああ

ウィスコンシンに戻って3日後、TLCの仕事が内定!
早速引越しの準備。
殆どの荷物は送って、残りは車のうしろに詰め込んだ。
今回は父と一緒の為あまり後ろに詰め込むことは出来なかった。
後ろ半分はサミーが独占。といってもサミーにとっては狭かった。
今回もごめんねと。
助手席には父、運転席には私。

ボストンへついたのはいいが、TLCから用意してもらった部屋は空いていない。
空いているのは地下だけ。その地下はカビだらけ。そこに寝ろっていうのか!
私と父はそこに泊まらず、ホテルで泊まった。
翌日、理事長にあって事情を話すと、女子寮を提供してくれた。
それは生徒達が戻るまで自由に使ってよしと。
となるとそれまでに住処を探さなくちゃあ。
友人の紹介でSueに会う。
そこでルームメイトになることにした。
家で庭付き。サミーにはいい条件。

父はもう1週間ほど一緒に滞在する。
父のためにいろいろ観光へ出かける。
が、私は車を酷使したせいか車が動かん。。。。
もう一歩で父が行きたいケデネィの夏別荘を拝めたのに。。。
レッカーで運び、その代金は$350.バカやロー・
車のスターターが壊れていた。その修理も約$350.
ダブルバカヤローです。
ルームメートが慰めてくれた。電車でボストンへ行くといいよと。
こうして、1週間が過ぎて父は日本へ帰国した。

そして、私の初仕事。わくわく。私は小学3年の受け持ち。生徒は3人。
小学3年は3人の先生で受け持っている。私は国語、算数、理科を担当して教えている。
一生懸命に夢中で働いた。休日も返上して。

一応教科書はあるけど、個人別に指導するから個人別の課題を作っていく必要がある。
受け持つ生徒のうちの一人がどうも気になる。
手話が分からない、まともな会話が出来ず、その生徒だけ浮いていた。
その生徒は転校生だったのだが、いろいろ事情を抱えていた。

その生徒の気持ちを読み取れるのは私だけだった為が、私だけなつく。
私の言うことは聞くが他人には聞かない。根気良く聞いてあげる事で
その生徒はいろいろ話す。表現があまり上手くない子。だからこそ、
うまく読み取ってあげないとその子は苛立つ。

いろいろストレスを抱えたせいか、ある日目が覚めたら体が動かん。
初めての体験。連絡を取らなきゃあ。2階から1階のttyへ行くのだが
足に力が入らず、支えながらTTYまで行って休みの連絡を取る。
翌日には部分的な痛みが発生。

右腕が痛い。握れない。病院へ行っても風邪だとが私に納得いくような
診断ではなかった。1週間ほど休んでもよくならない。
MRI, X-Ray,CatScan等いろいろ見てもらったが
正常であり、異常は見られず。

7年間アメリカに住んでいて日本が恋しいと思ったのは今回が初めて。
それほど弱っては気も弱ってしまう。
まして、そこには新しい土地、気の許せる友はまだいないし、
看病してくれる人もいない。尚更、日本が恋しい。

上司の勧めで日本へ帰ることにした。
上司曰く、健康第一、そして次が仕事。ますは健康を取り戻して
それから仕事に戻って欲しいと。今の君は母が必要。
いくら年を取っても母は必要な物だよ。家族の助けが必要なんだよ。
明日でも日本へ帰ってゆっくり休んでこいと。

上司の言葉に救われました。
いろいろ手続きをして、日本へ2年ぶりの帰国です。

サミーの手続きに出かけたら、車が壊れたぞ。ああああああああああ
今回もレッカーの世話になりました。
もちろん修理代、レッカー代は前回と同じ。
バカヤロー。ただ違うのは目標の出前に壊れたのではなく
目標地まで行った後だった。

ユナイデットにてサミート一緒に乗ったのだが、サミーにとって狭い席だった。
そしたら、ビジネス席に座っていた客から席を譲ってくれた。
席幅がゆったりして気持ちがいいね。サミーもゆったりして気持ちがいいでしょう。

ボストンからDCへ乗り換え。DCからはANA航空。
カウンターでサミーの入国手続き。
席は一番後ろで2席分。しかし、席の席の間の幅はサミーには
入れないものだった。不満を言って、ゆとりのある幅をお願いしますと
前に持ってお願いしたはずなのに。満席の為できませんと。
スチュワーデスは一生懸命に席を譲ってくれる方を探したけど
あいにく。。。

幸いに通行側は2倍ほどあったのでサミーを通行側に座らせることで
一件らく。離陸と着陸のみサミーは席に座らせた。危険防止のため。

詳しいことは別の機会に書こう。

って2年ぶりに日本へ帰国したのである。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sammy61 | 2003-11-28 22:45

ふー

7月12日から20日までドライブ旅行してきました。
目的は旅行じゃないんですよね。
本来の目的は仕事の面接なんです。
場所がボストンにあるのね。
一気にボストンまで行こうかと思ったけどついでに
私の母校ギャローデット大学がワシントンDCにあるのね
しかもボストンまで車で行くと18時間かかるので疲れてしまう。
ワシントンdcまでは14時間。それなら大丈夫。
ということでワシントンDCの友人の家に2日間滞在することにした。
朝の4時半に家を出た。日がまだ昇っていないので暗い。
I-90ルートを使っていくとやたらに高速料金を沢山払う。
ムカムカしながら払った。時間がもったいないので昼食のために休みを取らずずっと走り続けた。サミーのトイレ、ガソリンを入れる以外は。昼食はもちろん車の中で軽食。。。
DCまでいったのはいいが、友人の家に行くための道をどこかで曲がる必要があったのだが、その道の表示が見つからず迷ってしまった。
そういう時はPagerに限る。日本で言えば携帯電話のようなもの。
そのPagerはポケベル機能で日本ほど性能は高くはないが…
Pegerで迷った、今この辺りにいるといったら迎えに来てくれた。
サミーも私も疲れた。特に、右太ももが。。。ずっとアクセルを踏んだままだったからね。その家はペット禁止の家。サミーは地下室で一晩過ごした。サミーはムッとしていた。
翌日には母校へ行った。卒業してから3年しかたっていないのに随分と変わっていた。卒業後沢山改築したからだろう。
Student Academic Center (SAC)は私がいたころは無かった。
最新の技術を取り入れて。。。
私がGallaudetで最初にお世話になったELIへ遊びに行った。
立派になった物よ。ちゃんとしたオフィスを構えている。
ELIはGECと合併されていた。
その後、バルティモア周辺の友人の家に泊まった。
その友人は愛犬家なのでサミーは大喜び。
家の中を自由にくづろけるのであった。
私がそこに着いたときはパーティが始まっていた。
ジムの両親、グレッグ夫妻、グレッグの2人息子、バーバラ家族でした。デッキでバーベキュー。
翌日にはボストンへ向かった。
無事にTLCに着き、下見をしてきた。
ボストンには知り合いがいないため、ホテルに泊まった。
10時から仕事の面接!しかも2つ。
WSとTLC. WSは学力や態度など問題のある生徒達が集まっている。12ヶ月ずっと仕事。$37,000 つまり年棒で370万円以上もらえる。TLCは普通の生徒達で10ヶ月の仕事。$30,000.私としてはTLCで働きたい。TLCだと2ヶ月の夏休みがあって実家にゆっくり帰ることが出来るからね。
面接が終わった後、ハーバード大学へ見に行った。
噂とおり、ハーバード氏の右足には銅色のところが金色に輝いていた。観光者が頭が良くなりますようにと願掛けに触っていくからだそうです。それ以上観光する気に離れなかった。ずっと運転し放しで疲れていた。翌朝、再びDCの友人の家に戻った。翌日には改めて母校へ。この間行ったときはゆっくり見回らず、古い友人達と話すだけで終わってしまったから。そこで今晩泊まる友人と会う。その友人は2年前、日本に来たとき以来の友人。友人の家はバージニア。しかも愛犬家で犬を飼っていた。サミーは久しぶりに暴れた。遊ぶぞ、かかってこいと駆け回っていた。近くにはドックランがあってそこには犬用のプールがあってはサミーはそこで体温を下げるのであった。
泳ぎはしないが、水遊びをするのであった。
満足したサミーを友人の家に連れて行く。
女友人3人でワインで乾杯!その後夕食へ出かける。
いろいろしゃべったなあ。
そして、バルティモアの友人の家に戻り、同じく朝の5時にはこっちへ戻るべく出た。今回はI-70ルート。一切に料金を払わずに戻ってきた。やっとここに着いたときは7時。サミーも私もクタクタ。。。
未だに腰が痛い。足の疲れは取れて今は走れるが、腰は未だに痛い。
スパへいってマッサージしてもらいたい。そういうわけにはいかないからアパートの浅いバスタブでゆっくり。。。

友人は皆私のことCrazyという。若さのゆえに出来るんだよ。今しか出来ないことなんだよ。40とか50になったらできないぞ。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sammy61 | 2003-07-23 22:45

独立記念日

7月4日は独立記念日。
6月の末からあっちこっちと特別ブーツが建てている。
それは花火なのだ。花火を売るブーツなのです。
いろいろな花火が売っていますが、日本とはちょっと違いますね。
日本の方が種類が沢山あります。
こっちは打ち上げ花火しか売っていないんですね。
7月に入ると夕方あたりには家の近所たちは花火を打ち上げます。
7月4日には私の友人の家でパーティしてきました。
友人の家の近所たちでミニパレードしていました。
子供達は自転車に仮装します。アメリカ旗の色に沿って赤、白、青とテープを巻きつけたり、旗を立てたりします。大人は芝刈り機を仮装して競っていました。ある芝刈り機にはラッセルモアの4大統領の像に後ろには4つのお尻。ユニークなアイデアです。
その後はバーベキューでグリルしたお肉は美味しい。
暗くなったら、みんなでいすを用意して市から提供した花火が30分続くのであった。友人の家には犬がいるのだが、その花火で怖がっては飛び出して行方不明になってはみんなで探した。それでも見つからないから、警察に電話したら、既に保護済み。ある場所まで逃げ出しては小刻みに震えていたそう。ちなみに私のサミーは逃げ出さず、私のそばでじっとしていた。ある意味ではサミーは聾になれるのである。確かにビクッとしていましたが…
アメリカの花火は物足りないなあ。日本の花火の方が盛大!

昨日、友人と食事に出かけた後の帰り道に湖から花火が打ち上げられていた。一昨日見た花火より昨日の方が良かったけど物足りない。

墨田川の大江戸花火は盛大だね。私はやっぱ江戸っ子だす。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sammy61 | 2003-07-06 22:44

ふー

6月13日をもって臨時代理先生の仕事が終わった。
その日は高等部の卒業式だった。
アメリカの終業式はこんな感じだった。
幼稚部と小学部の終業式と卒業式は一緒だった。
6月12日に行われ、場所はラウンドルームといった小規模。
日本で言ったらお遊戯室に当てはまるような部屋の大きさです。
アメリカの聾学校では小学部の校長、高等部の校長そして理事長もしくは学長がいる。
理事長は日本の聾学校では校長が当てはまる。
校長は主事に当たります。
名称のつけ方が違うんだよね。
って、小学部の校長が式を取り計らい、一年間頑張った人には
名前を呼ばれて賞状をもらえます。
その後に各部から賞状がもらえる:体育、図工、寮。
乳児部、幼稚部、小学1年という風に次々と呼ばれ、
私は幼稚部を担当していたから
私の生徒達と一緒に舞台に上がり、親たちに紹介し、
この子達は来年度から小学部1年生になりますと。
つまり、最後のお別れです。
来年度からはまだ別の学生を迎えます。
最後に小学5年生の卒業式。
ラフだな。日本の卒業式と比べて。。。
一応卒業証明書を普通に受け取り、各先生と抱きしめながら握手する。日本では形式にこだわって、受け取り方も決まっている。
翌日の午前中は中学部の卒業式。見ていないから分からないが。。。
午後はメインの高等部の卒業式。もちろん、講堂(体育館の中)で
行われました。卒業帽子と、ケープを着ていた。学校の色によって
彼らは赤い帽子とケープを着ていた。ここの学校のマスコットはファイヤーバードで色は赤である。
映画で見る卒業式と同じように式を始めた。
全てが終わると卒業生達は一気に帽子を上に向かって投げた。

夏の間に仕事はコミュニティ大学で日本文化と手話を教えることになっていたけど2日前になって、そのコースはキャンセルになった。
つまり夏の講義は全てキャンセルになってしまったのである。

私の計画がおじゃん。
改めて別の計画を立てなくちゃ。
だって退屈だもん、
ここはどいなかなんだから。
なかなかなじめない私。
仕事があったほうがいいけど今は長い夏休みで…

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sammy61 | 2003-06-20 22:43